理事長の呟き

〜アンチエイジング医療に邁進する精神科医のひとり言〜

Vol.033

『Z世代』

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今年のGWは全国的にかなりの人の流動があったようで、その後の新型コロナの感染者の動向が心配されていましたが、GW直後からは増加傾向を少し示したものの、現在は全国的にも減少傾向で継続しており、我が国におけるコロナ禍のトンネルの出口が何となく見えてきそうな予感もしてきました。

これから海外の人達がこれまでのように世界中で行き来を始めて、我が国にも多くのインバウンドの出入りが戻ってきたときに、果たしてこのままの状態で推移することが可能なのかどうかが1番のポイントになって来るものと思われます。各種のスポーツ競技や音楽のライブイベント等もかなり復活しているようですし、何とかこの流れが無事に続いて行ってほしいと願うばかりです。

ところで皆さんは『Z世代』という言葉を御存知でしょうか?どうもアメリカでは1965年~1980年に生まれた人達をX世代、1981年~1996年までをY世代(ミレニアル世代)、そして1997年~2012年までに生まれた人達をZ世代と呼んでいるようです。年代をどこで区切るかは諸説あるようですが・・・。私自身はX世代に入れてもらえるかどうか微妙な年代です(笑)。

世界的にはZ世代は人口の約30%を占めており(我が国では総人口の約14%しかいない・・・(;^ω^))、今後の「消費者」として経済を動かしていく世代として注目をされている人達のようです。実際私のクリニックスタッフも徐々にこの世代が増えてきて、世代交代の波は着々と押し寄せてきております。そこで我々の若かりし頃と、このZ世代の違いとは一体どのようなところにあるのかを比較検討していくことを今回のコラムのテーマとさせていただきます。

まずこの世代の特徴として多様性を当たり前として受け入れているそうで、 “自分らしさ”を大切にする傾向が強いようです。そして情報収集方法は一家に一冊ありましたハイ!広辞苑を紐解くことはなく、電子辞書も既にお払い箱で、全てはスマホでネット検索するとか、SNS上で検索をすることで情報を集め、さらにそれらを駆使して自身が情報を発信する側にもなっているという事です。そして1つの情報から深く追及するのではなく、より多くの情報に目を通すことで正しい情報を知ろうとしているそうです。

新聞やTVといった媒体からも既に離れてしまっており、その理由としては「自分の興味がない情報も沢山紛れ込んでいるから」ということで、自分にとってその情報は必要か不必要かをキチンと吟味した上で取捨選択をするというために、可能な限り自分にとっては無駄と思われるものを省くことが最重要課題となっています。

具体的には録画した番組はCMを飛ばすことは勿論、全編も早送りで見てしまうことは当たり前だそうです。スポーツ中継も生でライブを観戦することはせず、ダイジェストでポイントを押さえて結果を得られたら問題なし(まあこのあたりは毎朝大リーグの大谷君の結果だけわかれば、チームの勝敗なんかどうでもよい私のようなオッサンも多々いるとは思いますけど・・・)。

映画なども結末をちゃんと知ってからでないと観ない。それは「自分が思うよりもつまらない結末であったら、そこに至るまでの鑑賞時間が全くの無駄である」という発想のようです。音楽ではイントロダクションの長い曲は聞きたくないし、途中のギターソロのパートはいらないと思うそうで、令和の時代にはイントロ当てクイズは成立しません(笑)。カラオケに行っても次に歌い出す人は自分の順番を虎視眈々と準備していないと出遅れます(泣)。

昭和生まれのオッサンには、最初から結末ありきの映画やドラマなんて面白くも楽しくもないし、最後の大逆転を期待しながらスポーツは観戦するものだと思っていますし、イントロを耳にして徐々にその曲のサビに向かっていく高揚感が何とも言えないわけですし、何かもう話を聞けば聞くほど、こりゃもう我々の世代とは相容れないこと間違いなしと思ってしまいます。

まあとにもかくにも、ウソも本当も溢れ返っている情報の大波の中を、キチンと安全に無駄なく泳いで生きていくための術がこのような状態を生んでいるのだとするならば、Z世代の皆さんのこれからの世の中は本当に大変なような気もします。因みにZ世代の次はもう決まっていて只今はα世代だそうですが・・・。

トランプさんの口癖だった『フェイク・ニュース』が、どこまでフェイクなのかをきちんと見極めることが出来ないと、政権によって意図的に統制化されてしまえば今のロシア国民のような状態を生み出すことも可能であることを目の当たりにして、情報とは毒にでも薬にでもなる本当に恐ろしいものだとつくづく思ってしまいます。

我が国においてマイナンバーカード1枚にその人の個人情報の殆どが盛り込まれようとしていることを、こりゃ非常に便利な事と思うのか、マジで非常に危うい事と思うのか、その違いがこの「X」と「Z」の世代間の違いなのかもしれませんね。どんなに慌てて焦って頑張ってみたところで、誰も皆平等に1時間は60分、1日は24時間、1年は365日しかないわけです。

随分前にこのコラムでも書いたような気がするのですが、砂漠を1人でさまよって救助を待っているときに、手持ちの水筒にある残り半分の水を「もう半分しか水が残っていない」と思い慌てて冷静さを失う人と、「まだ半分残っている」と思い落ち着いて冷静に物事を判断できる人では、同じシチュエーションにいても助かる確率は変わるといわれています。確かに数十年前とは比べ物にならない量の情報が、四六時中押し寄せてくる時代になりました。しかし受け取る側の人間なんて数十年前と大して変わってはいません。飛び交う情報量と扱う道具の違いだけです。どんなに時代が変わろうとも人間なんて所詮は「立って半畳、寝て一畳」ではないかと思うX世代の端くれのオッサンの戯言でした。

 

 

正にそのZ世代の娘と家庭内では、日々対峙しながらそのギャップをいかに埋めたらよいのかで苦悩する父でもあります・・・(汗)。

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