理事長の呟き

〜アンチエイジング医療に邁進する精神科医のひとり言〜

Vol.160

医療の限界

年明けから全国的に寒い日が続いております。どうもインフルエンザは一昨年の新型(だから厚労省もいつまで新型って言い張るつもりなんだ!)が幅を利かせているようです。コラム読者の皆様はその後もお元気にお過ごしでしょうか?

年頭の御挨拶にも書かせていただきましたが、医療に携わる者としまして診療上痛切に身に染みる事の一つに、臨床現場において“医療としての限界”を感じさせられる症例に対峙することです。人の生死に直接かかわる疾患を我々のクリニックで治療に当たることはまずございませんが、アンチエイジング医療なんてまさに「天に唾するようなもの」と言われることも正直少なくありません。

ただ人類の歴史を振り返れば、その昔は全く不可能であったことが今では十分可能になった治療も沢山あります。それだけ医療は確実に日進月歩で前進しているわけですが、まだまだ出来ないことは山のように存在しています。

また同時に、医療に携わる者として悩んでしまう一つのテーマに“医療の名のもとに行う行為の域値”、つまり「可能であれば医療だったら何やってもいいの?」ってことがあります。今回特にそんな思いにさせられた理由のひとつに、某国会議員が赤の他人の卵子を使って先日無事出産をされたニュースがありました。

一人の女性として愛するパートナーの子供を出産したいと願う気持ちは、男の私とて十分理解できるつもりです。一般的にも自分のおなかを痛めて生んだからにはその子の母親と名乗る資格はあるのでしょうが、正確にいえば出産した女性のDNAはその子には存在していない以上、生物学的見地からは実子ではない事になります。

ただ単に自分には妊娠の可能性がなく、それでも是が非でもパートナーの子供と家族を構築したいのであれば、下種な言い方をすれば“だったら子供は他で作ってもらって養子縁組すればいいじゃない!”になりますよね。

これだけマスコミに曝されてのご出産ですから、そのお子さんが育っていく過程の中で心無い人からDNAレベルでの実母の話をされてしまう可能性も否めません。自分の子供の情操教育で手一杯の人間が、他人様の子育てに口をはさむ余地はないことは分かっているものの老婆心ながら気になるところではあります。

「私が産んだ子供なのだから母親は絶対に私よ!」って、そりゃ〜生んだ人はそうであっても、子供自身は一生を通じて「あ〜そうですか」と簡単にいくものなのでしょうか?極端な言い方をすれば、これは是が非でも出産を経験したい女性のための1つのパーツに子供がなっていやしないかという事です。

かなり前に話題になりましたが、某格闘家とタレントさんの御家族の場合は、奥さんが婦人科系の御病気で出産できない体になっていたために、夫の精子と妻の卵子を他人様のお腹を間借りする方法でした。

これは受精の段階でのミスさえなければDNA的には100%2人の間の子供であることは間違いありません。ただこれだって体外受精の医療が発達したからこそなせる技であって、明治・大正の時代では考えられなかったことです。それに先述の「生んだ私が母親よ!」が法律的に正しいとされてしまえば、一体だれの子供なの?になってしまいます。

いずれにせよはっきりと言えることは、生まれてくる子供の人権は後から周りが調整するから何とでもなると思っておられるのか、どのような形であれ“親になりたい人達”の一存だけで事(医療)が進んでいるという事実です。

そりゃ確かに私だって「小林家に絶対に生まれてやる!」という強い意思を持ってこの世に出てきたわけじゃ〜ござんせんが、そこにどれだけ医療が加担をしていいのか、するべきなのか、しちゃいけないのか・・・。ここで今私が答えを出すことは不可能です。

本日は“生”のお話が中心になりましたが、“死”についても医療の進歩とともに考えなければならない問題が増えています。ただ呼吸をして心臓が動いていればどうなのか、脳死という状態とは本当はどのレベルで決めることが出来るのか、再生医療がもっともっと進歩すれば今現在のレベルで決めている基準では「死亡の決定」が時期尚早に必ずなってきます。

医療とは人間の誕生から臨終までいついかなる時においてもかかわっている以上『人が生きる』という本当の意味を常に模索し続ける運命にあるものです。そんな医療の世界に身を置きながら、改めて今年は“真”のアンチエイジング医療を心身両面から再考する年にしようと思っております。

 

そんなこと言ってみても、一旦白衣を脱いで家に戻って“夫”や“父”になった途端、“やれることは何でもやんなきゃ”生きていけない私生活は2011年も存続で〜〜す。

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