理事長の呟き

〜アンチエイジング医療に邁進する精神科医のひとり言〜

Vol.351

透析を止めるな

DRkobayashi1
3月も中旬になり、日差しもすっかりと春の陽気になってきました。予想通り今年のスギ花粉は昨年よりもかなり多いようで、「いつもよりも今年は辛い」とおっしゃる方が外来でも多く見受けます。

新元号の発表まで半月、平成も残り1ヶ月半となり、年度末の慌ただしさと一緒に何となく落ち着かないような感じもあります。これからしばらくは歓送迎会に飲食関連の方々は稼ぎ時にならなければ大変な今日この頃、当クリニックには全く関係ありませんけど、コラム読者の皆様に於かれましてはお変わりなく健やかにお過ごしの事と存じます。

今回は先日より話題となっておりました、人工透析を行っている患者さんに対してその治療の継続を中止する選択をさせてしまった医療機関(医師)について考えてみたいと思います。

ご存知の通り腎臓の機能を大まかに言いますと、血液の中の成分を身体に必要なものと不必要なものに分別して、不必要なものは尿として体外に排泄させるふるい分けをする臓器であります。その他にもそれによって身体の体液の調節を行い、血液中の電解質のバランスを調整したり、血圧の安定に関与したり、人が生きて行くうえで色々な重要な働きをしています。

そこで腎不全とはその機能がほぼ消失してしまった状態であり、人工透析とはそれらの腎臓の機能を体外の機械によって代償的に行う行為です。基本的には1回につき4時間程度の時間を要し、それを週に3回は行う必要があります。

最近では海外でも透析を受ける事が可能な施設があれば、海外旅行も不可能ではないと言われておりますが、勿論行く先々に制限は発生しますので世界中どこにでも行けるとは限りません。

今のところこの透析を回避することが出来る治療としては腎臓移植という手段がありますが、これも移植可能な腎臓の提供者の存在や術後の拒絶反応への対応などを考慮すると、誰でもすぐに施行可能なものとも言えません。

そういえばちょっと前になりますが、癌で全摘出してしまった腎臓から腫瘍部分を完全除去したものを他の人に移植して使用する腎移植が物議を醸していました。それが現在では“修復腎移植”の名のもとに先進医療として認可され、将来的には保健適用を目指す流れになっています。

普通に考えると、癌の存在を理由に切り取られた他人の臓器を病変部のみちゃんと取り除いたとはいえ、それを自分の臓器として迎え入れる事に全く抵抗感を持たない人はあまりいないような気がします。それどころか当時は倫理的にどうなのか?と騒がれもしました。

しかし実際に移植術を受けて経過が良好な人達からは、当時の腎移植の執刀医はまさに神様と拝み奉られていました。つまりそれだけ一生透析を続けていく事の辛さから解放されるという現実が、その人にとってどれほどの意味を持つものであるかは、やはり当事者自身でないと理解はできないからだと思います。

医療に携わる者として、患者さんに対しては出来うる限りの治療を施す“義務”は常にあるものとして私も今日まで臨床の現場に立ってきました。しかし今の医療をもってしても改善不可能な疾患もあれば、少し前までは不治の病と言われていたものが完全寛解するようなケースも認められているのが現状です。

勿論もっともっと治療成績は良い方向に進んでいくはずですし、そうしていく事が我々医師に託された“使命”でもあろうかと思います。しかしその治療をいつどこでどのように受けるかを決める“権利”は患者さんだけが持つものなのです。

私が街中を徘徊しながら、AGAと思われる人に対して勝手に薬を処方して外用薬を塗ってしまうなんてことは全くありえない犯罪レベルのお話ですよね。自分の意志ではなく強制的に診療の場に患者さんが連れてこられるのは、特殊な場合の小児科と精神科以外では通常ありえないことです。

そこで私がいつも思う事ですけど、医療とは施す側と受ける側が、同じ土俵の上で、同じ番付(対等な対場)で、同じ高さの目線で開始をしないと素晴らしい取り組みにはならないものだという事です。勿論お互いの勝負ではありませんので、戦う相手とは『疾患』であり、患者さんと医者が共に力を合わせての総力戦となるわけです。

そしてチームワークよく圧勝できる勝負もあれば、どんなに力を合わせても僅差で敗れる勝負もあります。そこで今回の一連の報道からは、その医者と患者の“一致団結”の部分が見えてこないことが残念で腹立たしく思えるのです。勿論どちら側からも私が直接話を聞いたわけでもないですし、昨今のマスコミ報道を全て鵜呑みにするのも危険な事です。

患者さんの中には土俵際まで攻め込まれると、ギリギリの徳俵まで使ったところで自ら勝負をあきらめて土俵を割ってしまうケースも珍しくはありません。医者はその時にダメ押しをするのが仕事ではなく、何とかうっちゃって逆転勝利をもぎ取れないかを指南する事が本来の仕事だと思うのです。

今回の患者さんが透析を断念する選択をするときに、まさかダメ押しをするような対応をしたのであれば、それは医者としてはあるまじき行為だと思いますが、それはなかったものと信じたいです。

現在当院で日々行っておりますAGAの加療も、中止してしまえばこれまでに改善した部分やその後に頑張って何とか維持をしていた部分を含めて、その人としてのAGAの進行を加速してしまう結果となります。

このことは当院では加療開始前に必ず説明を行っていますし、そこに納得と同意をされた方しか加療に導入することは絶対ありません。ある意味で透析の導入開始と同じことだと思っています。確かにAGAの加療を中止しても直接命に影響を及ぼすことはありませんが、決して大げさではなく「AGAの進行が死ぬこと以上に辛い」と訴えて受診される方も事実おられるのです。

医師とは治療内容を全てきちんと理解をしてもらったうえで開始をした責任があり、中止する事を決めるのは最終的には本人自身であるとしても、その中止する場面にきちんと立ち会う責任もあるはずです。今回の一連のお話は決して他人事には思えないニュースでした・・・。

 

 

最近我が家にて頻出傾向にある危機の1つに、“言った方はすっかり忘れて、言われた方だけがしっかりと覚えている”という事実・・・。
「それもう聞いた!」(ブチッ)←何かが切れた音

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