理事長の呟き

〜アンチエイジング医療に邁進する精神科医のひとり言〜

Vol.258

2015年盛春の候

小林一広

気のせいでしょうか、今年の桜は「アッという間に咲いて、アッという間に散ってしまった!」感が否めません。4月になって急激に夏日になったり、真冬のような寒さになったりと天候不順が続く新年度のスタートとなりましたが、コラム読者の皆様方は健やかにお過ごしのことと存じます。

今回は最近のニュース報道から気になることをかいつまんでみます。まずはNHKの某番組におけます「やらせ問題」ですが、何故事の真相を解明するのにこれだけ時間がかかっているのかが不思議でなりません。

担当者を呼んで例の会長直々に得意の(かどうかわかりませんが)恫喝か強要あたりを駆使して、きっぱりと真実を語らせてしまえば数日もあれば全てがハッキリするのではないかと思います。

どうも“クロ”であった場合のその後の幕引きをどうしたらいいのかをいろいろ検証するための時間稼ぎをしているようにしか私には見えないのですが皆様は如何でしょう。それとも実は叩いてみたらま~~~ホコリまみれで、あの番組だけでは話が終わらなくもっと他にも沢山あることが判明しており、只今社をあげてのパニック状態に陥り右往左往していたりして・・・(爆)。

次に某民放の局アナが常識ではありえないような供与を受けまくっていたお話であります。彼は何でも元高校球児で、あの松坂大輔君とも甲子園で投げ合った人のようです。おそらく当時のあのレベルの高校球児には、既にスポンサー企業に近い取り巻きが沢山いて、もうその年齢のころからタニマチのような方々からの“御好意”に対して「ごっつあんです!」の体質が染み込まれており、今回の件でも世間一般的なモラルに抵触するようなことを自分がしている自覚はこれっぽっちもなかったのではないでしょうかね。

でもこの件で同じ局に就職するにあたり、アナウンサーとしての“清廉性”云々を同社に問われた新人さんは、この度何一つ騒がれることなく穏やかに入職出来たことをこの先輩の“清廉性”にきちんと感謝しないといけないのではないでしょうか(笑)。

続きましては最高裁の判例にまで及んでしまったため、多くのメディアが取り上げたのでご存知の方も多いと思います。“小学校の児童が学校のグランドで蹴ったサッカーボールが校外に飛び出して起こった事故に対する親の責任問題”です。

自分も未成年の子供を持つ親の身ですから、あまり他人事のようにも思えない事件(事故)のお話に感じておりました。ただ今回はあの状況から法律のド素人から言わせていただくと、被害者側が訴える相手を完全に間違えているのではないか?と感じたのであります。

小学生が学校の校庭でゴールに向かってサッカーボールをシュートする。これに関しては全くの問題はありませんよね。しかも世界のメッシでもロナウドでもゴールマウスを外すことなんて日常茶飯事ですから、小学生が蹴って100%ゴールを決められるわけがありません。

てことは、それを十分予知した(出来た)うえで学校側が事前に「ボールが校外に飛び出ない手だて」を何故講じていなかったのか?の方が問題のように思えるのですが皆さん如何でしょうか。この件に関して言えば、もし訴えるとすれば児童の親ではなく学校側(市町村になるのでしょうか)なのではないかと私は思うのでございます。(もしそちら側はそちら側で既に裁判を終えておられるのであれば御免なさい)

それにしても、子供が自転車に乗って起こした人身事故や子供同士で行っていたキャッチボール中にそれた球で他人に傷害を負わせたときなど、これまで司法の場では殆ど親の責任を問われていたようです。自転車を公道で乗る時の起こりうる注意点や、公共の場でボールを投げる時の起こりうる注意点を親が指導していなかったことが理由のようです。

上記の事故は加害者が“故意”で起こしたものでなく、“不注意”で発生したものが対象となり、それらが親の責任問題となっていますが、であれば未成年の起こした傷害事件はどうなるのでしょう。過日の少年達による中学生殺人事件なんて100%本人達の意志で行っています。しかしその件で法的に親の責任が問われているような話は一切伝わってきません。
であれば子供がわざと自転車をぶつけに行ったり、キャッチボール中にわざとボールを当てたりした場合は親の責任は一切問われないということなのでしょうか?私はむしろわざとそんなことをするような育て方をしたという意味でこの時こそ“親の責任”が問われるべきではないかと思うのです。

今後は18歳から選挙権を与えるような話がいよいよ現実味を帯びてきましたが、それでは果たして何歳までが親の責任になるのかも、この際だからはっきりとして頂きたいものですな!

教育現場も医療現場もどこもかしこも、何かあればどこかのテレビ番組のタイトルではありませんが、すぐ「訴えてやる~~~」が常套句の世の中になってきております。以前にも言いましたが、訴えられないためだけの仕事ばかり考えているようでは、その現場に於いてはそこからの進歩も発展もままならなくなると常々私は思っております。

そのためにはもう少し「待つ」とか「許す」とか「認める」といった言葉が、多くの国民から自然に出て来るような世の中になっていって欲しいものだと願う2015年盛春の候でございました。

 

 

もちろん世の中には“家庭内”も含まれると思いますがあくまでも淡~い希望です・・・(泣)。

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