理事長の呟き

〜アンチエイジング医療に邁進する精神科医のひとり言〜

Vol.018

専門的な人達

いや〜早い、本当に早い、今年もあと1ヶ月ですよ!1ヶ月!皆様はもう年賀状の図案等はお決まりでしょうか?実を申しますと小生は未だに年賀状は自分で版画を彫って、刷って、とアナログな事を数十年続けております。そこで年末には睡眠不足の診療状態に毎年なるため、「来年こそはそんなことのないように、ちゃんと余裕を持って!」と心に誓うのですが、試験勉強の一夜漬けすら危うかったこの性格は、何歳になっても変わりようがないようで、同じ事を繰り返す師走に突入の予感は今年もありそうです。

ところで皆さんの周りに「評論家」なる肩書きの方々はいらっしゃいますでしょうか?最近では様々な肩書きの評論家がおられます。医事評論家、服飾評論家、料理評論家、教育評論家etc.であります。しかもこれらには自称、他称、コンチクショー、といった修飾語もついたりもしますし、最近ではこれらの方々も“***ジャーナリスト”とか、
“***コメンテーター”とか、“***アドバイザー”などと称して活躍の場を拡げておられるようです。こうなってくるとお受験だったり、介護だったり、離婚だったり、(オイオイ、これって“どこの家”
の問題なのよ?)何でもありの世界に突入しちゃいます。そしてどう言う訳だか医事評論家は臨床の現場にはいないし、服飾評論家は服をデザインしたり作ったり出来ないし、料理評論家は自分のお店は待たないし、教育評論家は自分の子供の事は語りません。つまり「自分のことは棚に上げて、全くの他人様の褌で相撲をとれるんなら、こんな楽なことはないわよね〜〜〜」になってしまいますが皆さんはいかがお考えでしょうか?とは言っても、前々回述べましたように、自称***の方々ではなく、その道のプロとして、それを生業としてやっていらっしゃる方々は、当然発言する言葉の一つ一つに『責任』を伴う事になるはずです。

そこで最近つくづくその責任の所在が、非常にうやむやにされているように思えて仕方が無いことがあります。インターネットの書き込みのサイト(代表的なものとしては「2ちゃんねる」など)を皆さんも御存知かと思いますが、あれこそは無責任の最たるものですよね。色々な事象に、多くの人が様々な意見をすることは大切なことだと思いますが、それをインターネット上とは言え、公にするからには当然発言する言葉ひとつひとつに責任を持つことは当然ですし、その責任を問われる義務も存在するはずです。ここで僕がお役所に喧嘩を売るようなことを書いてもそれは僕自身の責任においての事と自覚しているつもりですし、別に逃げも隠れもするつもりはありません。今年の流行語大賞になりそうな『自己責任』と言う言葉がありましたが、あれはその当時「自分のお尻(公の場で“ケツ
”なんて言葉を使ったら玄関にチェーンがかかってしまいますから)は、自分で拭け!」的に世間で使われていたように思います。責任とは自己完結してしまってそれでおしまいで良いのでしょうか?それでは自分さえよけりゃ〜何でもありになってしまうのではないでしょうか?責任とは自分以外の人や事柄に対してとるものであり、それによって秩序や、モラルや、ルールが守られると僕は思うわけです。この様な言葉が流行語として認知されてしまうことに、やはり自己中心的な世相の勢いを感じずにはいられません。残念!(これだってノミネートですから)

責任の所在どころか、無責任極まりないものとしては「占い」ってものがあります。勝手に人の人生決め付けておいて、あとは全く知ったこっちゃ〜ないになる訳ですから困ったものです。一方でそんなこと言っておきながら、雑誌の今月の占いや毎朝出勤前にテレビの情報番組でやっている「今日の星座占い」に一喜一憂してしまう小林家であったりして・・・。占星術はある種の統計学であり、一定の法則もそれなりにあるわけです。と、言うことは、獅子座と牡羊座と蠍座の集う小林家全員が「同時」にハッピーになることなどは絶対ありませんからぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜。切腹!

今年もこのコラムの最終月までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。来年もクリニックの診療を(このコラムもね!)より一層充実したものとなるように“責任を持って”頑張りますのでどうぞ宜しくお願いいたします。それでは皆さん、素敵なクリスマスをお過ごしいただき、そしてどうぞ良い年をお迎えください。

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